ひるがえって、日本はどうでしょう。すごく貧しかったら、住宅や医療の面で問題があるでしょうか。
通常3割負担、後期高齢者は1割負担でしたっけ、医療費そのものが、アメリカの3分の1以下、10%以下の場合もあります(私の経験で)。国民健康保険の毎月の支払も、アメリカの健康保険の10%以下ではないでしょうか。そう豊かでなくても、アメリカよりずっと医療費が払いやすい環境、医者に診てもらえる環境が、確かにありそうです。
かつて、きんさんぎんさんという双子の100歳超えの長寿姉妹がおられましたが、その娘さんたちが90代で、お元気です(残念ながら息子さんたちという話、男の話は無しです)。この方たちは、裕福だったから長寿なのでしょうか?私にはわかりませんが、日本の場合、裕福だったというより、人生を楽しんでいる方が、長寿の方々に多いように感じます。
私の父は70代までタバコを吸い、食生活も結構好きにしていて、お酒は飲めないので、お菓子の大袋をいつも抱えていました。そういう人ですから、母はだいぶ悩まされたようですが、74歳まで働き、その後は横浜市の施設を大いに利用して、カラオケ、手品、料理等など、いろいろな活動に参加していたようです。あまりストレスを溜めること無く、楽しんで91歳でなくなりました。結果として、癌も脳梗塞も心臓病も糖尿病もなく老衰死でした。平均寿命が79歳の時でしたから12年上回りました。
私の母は、嫁に来てから、姑、二人の小姑、姪、に毎日悩まされ、苦労の連続で、私ら息子たちにも、あーだこーだと、その辛かった話が絶えません。さらに、小さい時に母に死なれ、男中心の長野の山の中の農家で、小児麻痺の妹も世話しながら、小学校時代から、家事に追われ、意地悪だった実兄にも苦労させられ、そういう話も延々と続きます。
先月92歳の誕生日の前後、訪問しましたが、2時間おきに似た話を繰り返す、その毎日でした。2年前から膀胱癌があり、時折血尿がでて、この冬大変なときは、救急車を3回呼んだそうでした。母は平均寿命が86歳の世代ですから、大雑把に12歳足すと98歳まで生きないと、父と同じとは言えないのですね。
母は、介護等級4です。外に歩くのは難しいですが、家の中はなんとか歩き、私らのためにご飯を作り、洗濯も、少しの掃除もしてくれます。
80代で窓掃除中に、背中から転落して背骨の圧迫骨折をして、いつも背中が痛い状態が続いています。のみならず、昔の過去の自分の人生の不幸なことを延々と喋り続ける、この不満を抱えた精神状態、人生を老後を楽しめないで愚痴る状態が、癌に結びついたのではないかと、同じ環境に居た父母を見てそう思ってしまいます。
私の子どもの時は周囲と比べてもだいぶ貧しい方でした。友達の家に行くと8割がた我が家より裕福という印象でした。両親の60歳過ぎてからは、父が74歳まで働きましたし、第二次大戦に徴収された恩給などもあり、一般の平均的な生活に近づいたかもしれません。別に、裕福でなくとも両親は90歳過ぎまで生きてくれました。母はとくに医者に行くことはそう多くなかったと思います。
父も母も、健康に問題なしではありません、問題はありつつも、このくらい生きれたのが事実ですね。私は58歳で狭心症で、心臓の冠状動脈にステント3個入ってしまい、62歳の今でも老化が、著しく、父母と同じように生きられるのか、自分でも危ぶんでいます。
日本では、健康に注意する、食生活をしていれば、90歳までは、ある程度動ける、というところを両親が見せてくれました。母の場合癌になってもです。
では、アメリカで同じことができないだろうかと思うのですが。
ハワイの日系人が長寿で90歳以上でも元気という話を、だいぶ前に聞いたことがあります。
気候の良いハワイで伸びやかに過ごしたら、しかも日本的な食生活で居たら、健康で長生きできるかもしれないですね。
健康的に生きるということには、医者のお世話になる機会も少ないでしょうし、医療費が高ければ尚の事。
日本では、高齢者の9割以上は自宅暮らしだそうです。
高齢者世帯の平均所得は429万円。一人あたりで192万円となり、全世帯平均の207万円とあまり差はない。
70歳以降に医療費が増える。
高齢者の8割以上は介護の必要がない。
イカリア島民の長寿の秘訣は、身体活動のレベルとゆったりしたライフスタイルにある。島民はのんびりとした時間間隔をもっており、昼寝を習慣としているそうだ。食生活は、穀物やじゃがいも、緑野菜をよく摂る食事が中心。島民は日常的にヤギミルクやハーブティーをよく飲む習慣がある。
ビーチで知られる人気の観光地であるニコヤ半島では、島民同士の結びつきも強く、野菜中心の食生活と適度な運動(仕事)を日常的に行っている。島民の多くはサバネロ(牧場にいるカウボーイ)であり、牧場労働者だ。地元民はメソアメリカンの伝統的な食事をすることが多く、コーンのトルティーヤや豆類、かぼちゃをよく食べる。水はミネラルが豊富で、骨の健康に役立っている。気候はドライで晴れている日が多く、ビタミンDを多く摂取し、呼吸器系の疾患にかかる患者が少ない。
ヒマラヤ山脈に囲まれたパキスタン北部に位置するこの街は、小説『失われた地平線』に登場する理想郷、シャングリラなのではないかと言われている。小説のなかでは、シャングリラに住む人々は普通の人々よりはるかに長生きし、老いる速さは非常に遅いとされていたが、これはフンザバレーの人々にも共通しているらしい。適度な運動と野菜中心の食事を摂り、小麦やオオムギ、チェリーやスモモなどが有名だ。起伏の多い地形のため自然とそこに住む人は足腰が強くなり、運動不足にもなりにくい。フンザバレーの住民は人生をポジティブに捉えている人の割合も高く、家族同士の結びつきも強い。
ビルカバンバは『長寿の谷』として世界的に有名であり、世界三大長寿の地域に数えられ、高齢でもいつまでも元気に過ごしている。1950年代初め、慢性疾患が低く120歳まで生きると言われていたビルカバンバ村民は専門機関に研究対象とされた。当時の研究者はビルカバンバ村民の長寿説は誇張されたものが多いと指摘したものの、村民の日常の運動量と食生活は極めて健康的であると報告した。
ビルカバンバ村の一日のカロリー摂取量は1200~1900kcal。比較的バラエティー豊かな野菜や果物を多く食べる食習慣(ビタミン摂取)となっている。ヤギや羊の肉、牛乳などの比較的淡白な動物性脂肪を食すること、また豊富な運動量と合わせて健康で長生きできる環境が自然生活に存在していることが長寿の秘訣と言えるそうだ。
平均寿命は女性の方が長く、男性の方が短いのが一般的である。しかし、イタリア領のこの島では世界でも珍しいことに男女の平均寿命がほぼ同じなのである。さらに、サルデーニャでは100歳に達する人口数が世界平均に比べて2倍だそうだ。このイタリアの島でよく知られる言い習わしで” kent’ annos”という言葉があるが、これは「100歳まで生きられますように」という意味だ。豊富な海産物や、島において牧畜される羊の肉などが主要な食材として用いられる。
サルデーニャ人は家族の関係が強く、サルデーニャ以外の人と結婚する人はあまりいないことから、サルデーニャ人の長寿は遺伝子が関係しているという研究結果もある。
紛争の続く地域であるため正式な統計は存在しないが、2003年に行われた国勢調査では人口は215,972人であった。そのうち山岳地方に住む人口は約10万人で、この地方に住む人は150歳まで生きると噂されているほど、長寿で有名だという。病気や疾患にかかる人の割合が比較的低く、質の高い生活を楽しんでいる。
アブハジアでの食生活は地元で育てられた野菜や豆、穀物が中心で、肉や魚、糖分の摂取は少ない。彼らは強い家族のつながりがあり、ストレスの減少に繋がっていると言う人もいる。社会的地位や財力や業績によって判断されるのではなく、年齢によって判断される。
サンマリノは周囲は全てイタリアに囲まれた、世界で5番目に小さな国である。調査によると、サンマリノに住む男性の平均寿命は81歳。失業率は1.4パーセント(2007年)と非常に低く、一人当たりの支出レベルや生活水準はイタリアとほぼ同様である。ストレスレベルが低いことで有名なこの国では、経済規模が大きすぎず、また離婚率も少ない。また、お年寄りの社会活動も盛んに行われている。お年寄りは老人ホームなどで生活するのではなく、子供夫婦と暮らしている人がサンマリノでは多い。